POG Again

POG歴約20年

夢だった北海道、そして・・・

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ここまで書いてきた当時もしくは往年の名馬たちに会いに、北海道の牧場巡りへ行ったのはちょうど1990年頃(夏季と冬季それぞれ1度)だった。あの頃は今のような便利な世の中ではなかった(今もある程度は同じであるようだが)ので、『競走馬のふるさと案内所』もしくは各牧場へ電話で問い合わせてアポイントを取り、レンタカーで千歳、平取、日高門別、新冠、静内、浦河、様似と夢中で回った。印象に強く残っているのは、サッカーボーイやオグリキャップ、スーパークリークに加えてトウショウボーイなどの自分が競馬を好きになっていったきっかけとなった馬たちだった。サラブレッドをカメラで撮影するということをそれまで以上に好きになっていったのは、この北海道へ行った頃からだった。それからというもの、主に競馬場のパドック(貧乏学生だったので、使い捨ての『写ルンです』を主に使用していた)で新馬戦でデビューをする馬たちを撮ることに夢中になっていった。

 

この前年の3歳戦から明け4歳の中山&東京の新馬戦は1日も欠かさずパドックで撮影に明け暮れた。クラシック戦線は、牡馬は奇跡の名馬『トウカイテイオー』が牝馬はトウショウボーイの種牡馬生活後期の傑作『シスタートウショウ 』が、それぞれ前半戦の主人公であった。皐月賞に向けての東上緒戦・若葉ステークスにおける中山競馬場のパドックへ初めて見参したときの衝撃は自分にとって強烈なものだった。見たことがある人には分かると思うが、リズム良く大きな完歩で周回するあの様子を一目見た時に「だから、この馬は皇帝シンボリルドルフ初年度産駒の逸材なんだな。」と察しがついた。シスタートウショウはもちろんそうだったが、この時期にパドックで馬を見ていて印象に残った馬は、ダンスダンスダンス(第51回皐月賞5着、第5回フラワーC2着、第26回デイリー杯クィーンC3着)、ヒガシマジョルカ(第28回函館記念)、エイコーンカップ(第26回サンスポ4歳牝馬特別4着)らであった。

 

そしてこの翌年に現在のペーパーオーナーゲームの前身となるようなものを仲間内で始めた際に指名した馬が、無敗の3連勝で一躍クラシック候補となりながら皐月賞直前に骨折して休養。復帰した秋の最後の一冠:菊花賞であれだけ道中引っ掛かったにも関わらずミホシンザンの4着、後に秋の天皇賞を日本レコード勝ちしたテスコボーイ晩年の傑作・サクラユタカオーの2年目産駒:サクラバクシンオー(第6回クリスタルカップ、第27,28回スプリンターズステークス、第26回ダービー卿チャレンジ、第37回スワンS、第11回マイルチャンピオンS2着)であった。しかしながら彼がスプリンターとして本格化する前に、3年間仕事の都合でメキシコへ移住することになった。

 


1985 菊花賞