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POG歴約20年

メキシコという国とは

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1993年1月私は会社の海外研修という名目の下、メキシコシティに3年間に渡る移住をした。父親の義理の兄(姉の旦那)が某自動車メーカーの部品会社で部長をしていた際に、現地法人会社をメキシコで立ち上げて、その社長に私のことを紹介してくれたことがきっかけだった。自分も行くまではよく知らなかったが、メキシコとは人口:約1億2,701万人、面積:196万㎢(日本の約5倍)、首都:メキシコシティ、民族:欧州系(スペイン系等)と先住民の混血(60%)、先住民(30%)、欧州系(スペイン系等)(9%)、その他(1%)。APEC参加(1993年)やNAFTA発効、OECD加盟(共に1994年)を実現するも、1994年12月に通貨危機が発生(簡単に言えば昨日所持していた1万円が、一晩経った翌朝に5千円に化けてしまう)し、その後深刻なリセッションを経験するも危機を境に生じたペソ安により貿易収支が黒字に転化。GDP成長率も1996、1997年は5%超の高成長を記録した時期であった。

 

街の中は現在と比較しても活気に満ち溢れていて、当時20代前半の右も左も分からない若造であった自分には、見るもの全てが刺激的であった。言語を覚えるのには、赴任する半年前から在籍していた大学のスペイン人に半年間家庭教師をしてもらい、現地へ行ってからは会社の近くにあった外国人向けの英語でスペイン語を教える学校に半年間通った。当時は携帯電話はもちろんのこと、インターネットが普及していなかった時代。恋人とデートの約束一つするにも、相手の親御さんが電話に出て片言しか喋れないスペイン語で何とか意思を伝えた記憶がある。待ち合わせも民族がラテン系なので、30分から1時間以上相手を待たせるのは当たり前。長い時で、半日くらい待っていたこともあった。

 

自分にとって何の娯楽もない異国で、日本にいた時にブンデスリーガ (ドイツ) でプレーしていた奥寺康彦の出場試合も随時放送していた『三菱ダイヤモンドサッカー』をよく見ていたので、以前から興味があった外国サッカーリーグの本場(メキシコは過去に2回ワールドカップを開催しており、記憶に新しいのはあのマラドーナが優勝した1986年大会)で、毎週テレビ中継を見たりスタジアムへ行って地元チームであるクラブ・ウニベルシダ・ナシオナル(PUMAS)の応援に知り合いの家族らと行ったり、試合後にスタジアム近くの公園でバーベキューをしたりして過ごしていた。そういう環境だったので、日本で行われていた競馬の結果も当然タイムリーには知ることが出来ない。社長が購読していた読売新聞のスポーツ欄を覗き見するのが、精一杯であった。

 


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