POG Again

POG歴約20年

生きる喜びを人々に与え、天翔っていった娘

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ジョワドヴィーヴル

父ディープインパクト、母ビワハイジ、母の父 Caerleon

生産:ノーザンファーム、馬主:サンデーレーシング 厩舎:栗 松田博資 2009/5/13

馬名の意味・由来:仏語で「生きる喜び(Joie de Vivre)」。姉の背中に跨がっていたスミヨン騎手が、震災を経験した日本への思いを込めて命名した。

 

母・ビワハイジは阪神3歳牝馬ステークス、札幌3歳ステークス、京都牝馬特別優勝馬。半兄にアドマイヤジャパン(父・サンデーサイレンス、京成杯優勝)、アドマイヤオーラ(父・サンデーサイレンス、シンザン記念、弥生賞、京都記念優勝)、半姉にブエナビスタ(父・スペシャルウィーク、阪神ジュベナイルフィリーズ、桜花賞、優駿牝馬、ヴィクトリアマイル、天皇賞・秋、ジャパンカップ優勝など重賞8勝)、全兄にトーセンレーヴ(父・ディープインパクト、エプソムカップ優勝)、半妹にサングレアル(父・ゼンノロブロイ、フローラステークス優勝)がいる。11月12日、京都競馬場の芝1600mの新馬戦に福永祐一とのコンビでデビューし、直線中ほどで好位につけ、一気に抜け出して差し切った。2着にはテムジンが粘り、3着は追い込んだサンライズトゥルーだった。

兄弟馬も担当していた山口慶次厩務員は、デビュー前のジョワドヴィーヴルについて「ウチ特有で長めにはやっていましたが、そんなにビッシリとは仕上げませんでした。それでも能力は感じていましたし、牧場から入ってきた時に『ブエナを超えるかも知れない』なんて聞いていましたから。そんなのありえへんやろと思いましたが(笑)。確かに、当時から走りっぷりはディープを彷彿とさせました。跳びの滞空時間が長いというか。祐一も『馬に乗っている感じではない』とびっくりしていましたから。」と語っていた。

次走、12月11日の第63回阪神ジュベナイルFには、抽選(15分の6)を突破して出走した。レースではファインチョイス、ラシンティランテなどが引っ張るなか、ジョワドは後方をゆうゆうと追走。直線に向いて内からサウンドオブハートが抜け出したが、外から豪快に伸びて差し切った。ゴール前でサウンドオブハートを鼻差かわしたアイムユアーズが2着。デビューから2戦目でG1競走に勝利したのはグレード制導入後は史上初であり、デビューから僅か30日目のG1制覇は、史上2番目のスピード制覇であった。そして、ビワハイジとの母子制覇およびブエナビスタとの姉妹制覇を達成した。福永騎手は「今まで乗ったことがないような馬です」と驚きの表情で、2馬身半差の圧勝劇を振り返った。福永祐一が騎手として、また松田博資は調教師としてそれぞれ2人目の連覇。この勝利により、当年のJRA賞最優秀2歳牝馬に選出された。

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騎乗した福永祐一騎手は「ジョワドヴィーヴルが負ける姿をイメージできない。いずれはブエナビスタのように、世界の舞台に出ていく可能性のある馬だと思います。」と語り、管理していた松田博資調教師は「この馬はどれぐらい走ってくるかよう分からん。とにかく楽しみ。」と言い、生産したノーザンファーム事務局の中尾義信さんは「育成に携わってきたスタッフからは、素質のある馬との評価を集めていたのは事実だし、G1を勝てるような血統馬は巡り合わせと言えども、優れた素質を持った馬に携わってきた経験や体験が、ジョワドヴィーヴルに生かせたのも事実だと思う。血統、同じ過程を歩んでいることで、ブエナビスタとの比較をされるのは仕方ないと思うが、自分としては別の馬だと思っている。馬体には父ディープインパクトが出ているし、完成度やレースぶりからしても、これからジョワドヴィーヴルの個性が出てくるのではないか。」と述べていた。

3月3日の第19回チューリップ賞に単勝1.3倍の圧倒的1番人気で出走。レースは6-7番手で進め最後の直線で馬場の内を狙うが伸び切れずハナズゴールの3着に敗れた。4月8日の第72回桜花賞も1番人気に推されたが、後方追走から直線で伸びず6着に敗れた。レースの後、数日を経て右第1趾骨近位骨折の故障が発生し、6ヶ月以上の休養期間を要することが4月13日に厩舎サイドから発表された。翌年2月10日の第106回京都記念で10ヶ月ぶりに復帰したが7着に敗れ、3月9日の第49回中日新聞杯は後方から追い込むも6着に敗れ、5月12日の第8回ヴィクトリアマイルは、後方4-5番手から上がり33.3の末脚を繰り出すも4着に敗れた。

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そして5月29日の朝、6月1日に行われる鳴尾記念に出走するべく栗東トレセンのウッドコースで調教していたが、その途中で異変を察知した松田剛調教助手が、即座に手綱を引いて下馬。外ラチ沿いにジョワドヴィーヴルを停めた。一瞬の出来事だったのに、スッと彼女を御した松田剛調教助手。そして、バランスを崩しながらも、瞬時に指示に従ったパートナー。各厩舎がバンバン追い切りを行う時間帯。それも、トップスピードに乗る地点で見舞われたアクシデントだったにも関わらず、後続を巻き込むような大事故が起こらなかったのは、松田剛調教助手とジョワドヴィーヴルの呼吸がぴったり合っていて、人馬とも互いのことを熟知し、信頼を置いていたからだろう。彼女の左後脚は腫れあがり、脚を地面につけれない状態であったため、急ぎ診療所で診察を受けた結果、左後肢の下腿骨を開放骨折していたため、予後不良との診断が下り、その場で安楽死の処置がとられた。


2011 阪神ジュべナイルフィリーズ